栄枯盛衰
先日、一学期中間試験がありました。
結構成績落ちたのですが・・・
現代国語は得意なので、そこは救われました(^^;; (物理の話はしないでください)
さて、その現代国語には、山本健吉という作家さんの「日本の庭について」という文章が出題されました。
簡単に内容を書きますと、
日本の庭は時間とともに変化する。変化こそ生であり、日本の芸術が志向するものは、移って止まぬ生命の輝きである。日本芸術は、一瞬の生命の示現を果たした後は、消え去ることを志向する。
これに対し、ヨーロッパの庭は永遠不滅の造形を願っている。何世紀たっても不変の形を作り出すことが芸術の本質だと考えている。
最後に、日本の龍安寺の石庭は日本の代表的な庭と言われているけど、違くない?といった意見が書いてあって終わり。という風な文章でした。
僕はこれを読んで、ある曲を思い出しました。
乃木坂46の、「命は美しい」という曲です。
サビは、こんな歌詞です。
命は美しい
初めて気づいた日から
全てのその悲しみ 消えてゆくんだ
永遠ではないもの 花の儚さに似て
その一瞬一瞬が 生きてる意味
shortVer.だけでも聞いてみてください、この曲好きなんです↓
http://www.youtube.com/watch?v=9SS_uqzyhok
まさにその通りです。命は美しい。栄枯盛衰があるから美しい。人間もまた、懸命に努力して、限られた時間を懸命に生きる。そして、後の世代に希望を託して死んでゆく。寿命が長く、人間と違う時間感覚を持っている宇宙人が地球に住む人間の様子を見たら、きっと美しいんだろうなぁ。いや、醜いんだろうか。そんな事を想像させられました。
さて、皆さんお気づきかもしれませんが、僕は今、乃木坂46が好きです。
僕は勿論、彼女らに永遠にこのままの美しさを保って欲しいし、永遠にこのままの状態で応援し続けたいと思います。
でも、現実は違う。メンバーは日々成長し、そして変化し続けます。こうやって応援できるのも、ほんの数年の事でしょう。
これは確かに悲しいことですが、本当は、だからこそ美しいのかもしれません。
僕はこのブログの一つ前の記事で、文化祭の感想を書きました。そこに、こう綴っています
「10/2、2日目に及ぶ、早稲田中高の文化祭が幕を閉じました。
一瞬の出来事でした。
これだけの情熱を、何百時間もそそいできたのに。
儚くも美しい、悲しくも清々しい。桜が散る時の様な気持ちでした。」
まさしく、日本の芸術様式に通じるものがあるなと感じます。
さて、僕は何個かVOCALOIDに関するブログを書いていますが、2年間位ずっとほぼ毎日聴いていたVOCALOIDの曲も、最近はあまり聴いていません。
中2の頃は遊戯王というカードゲームに熱中し、学校終わり次第走って秋葉原に行き、大会に出場するという、今では信じられない様な生活をしたこともありました。その頃の自分は、このゲームから僕は離れられないンじゃないか。50歳超えてもこれやり続けているんじゃないかと、ちょっと恐怖に思ってもいました。
しかし、今はさっぱりやっていません。
栄枯盛衰、月日は流れていきます。僕の趣味嗜好は変化し、どんどん背も伸びました。顔つきも変わってきました。
そんな僕の心と体の変化も、何年後かの自分から振り返ってみれば美しい思い出になるのかも・・・?
以前、VOCALOIDに関するブログで、初音ミクは永遠に生きるのか?といった内容について考察しました。
今考えてみると、初音ミクはクールジャパンとして日本を代表する様な存在でありますが、日本の伝統的文化の側面から見ると龍安寺的なのかな・・・?と一瞬思いました。
でも、初音ミクという存在は今を生きる人々によって形作られているのだから、彼女は変化する生き物であり、永遠に不変の存在とは対極にあります。
やはり、日本の芸術様式は根強く日本人の心に深く根付いているのだなと思いました。
僕は最近、北欧に行ってみたいなぁと思っています。(幸せ度ランキング高いから)
いつかヨーロッパに旅行で行った時には、そんな芸術様式の違いと、それによる物事の捉え方にどんな違いがあるのかな?というようなところにも注目したいです。
長々と、感じた事を節操なく書きましたが、結局はこの一言につきます。
今回の問題文面白かったなぁ
栄枯盛衰、テストの点数もまた、変化します。今回多少悪くても、大きな目で見ればそれもまた美しい。だから、つまり、期末テスト頑張ります。(なんか違う)
あと最後に・・・VOCALOIDは今でも好きです。飽きたわけじゃないです